南牧.ネット* 群馬県 南牧村♪南牧PPエール
羽沢のとっつき南牧村民族資料館、かつての尾沢小学校の校舎を転用している。星尾川を挟み向かいに昭和30年に竣工した尾沢中学校校舎が望める。資料館から南牧街道を登り続けて3〜5分、視界がパッと開けて “越し屋根” の養蚕農家造りの家々が南牧川に向いて並ぶ勧能地区。石垣積みの段々畑を背負った景観は言葉にならず、しばし見入ってしまうほど。
川沿いに東西に長く広がる羽沢には、養蚕農家家屋のほかに大きな商家も。漆喰の手入れされた蔵に華やかかりし頃の面影を残し圧巻の佇まい。是非 “南牧フィルムコミッション”でも立ち上げてほしい。
Traffic Information
歴史資料館よりしばらく深いカーブが続く対向車注意だ。
カーナビやWEBマップに“勧能温泉”と表示されるが、この温泉は現在営業していない。
南牧ふるさとバス 下仁田←→勧能 (一部熊倉乗入れ) 間を往復
(o._.)o…時刻・料金表を見る *リンク先サイト内 路線バス が 当路線
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 羽沢にまつわる 歴史 と 雑学
羽沢城は1532〜1555(天文年間)の辺りで築城、砥沢城の出城として重信次男 市川右馬左が初代城主(村誌)。現在の南牧村民族資料館の在る場所にがあった。羽沢城主は砥沢(南牧)関所役として南牧領の中核を支えていた。羽沢城主にて全国へ名を知られる市川五郎兵衛真親は、信州浅科村(現 佐久市)に五郎兵衛新田を開墾した。今となっては…県境を越えて? と思うが、戦国時代から江戸初期のこと、現在の県境を越えて南牧谷の土豪 市川氏一族の活動圏であった時代。明治18年 羽沢城が在った市川四郎兵衛氏宅地へ尾沢小学校前進の “群馬県第72学区北甘楽郡第8小学校” が開校。現在でも敷地内に石碑などが残り、近くには五郎兵衛氏の墓標がある。この墓所は星尾に在る吉祥寺の管理。
歴史民族資料室年表…1567年 市川四郎兵衛真治(吉) 羽沢城主 【gabo疑問】
佐久市には市川五郎兵衛真親の偉業をたたえ 五郎兵衛記念館 が新田を臨み建っている。浅間山から北に広がる青空は…この気持ちは尾沢地区に住んだら解る!!
写真は佐久市・旧浅科村にある、記念館と刈取り前の五郎兵衛米
< 南牧.net > 記念館では、五郎兵衛用水を歩く会など様々な活動を催しています。南牧村に由緒ある五郎兵衛氏の偉業も楽しく散歩…そのうち参加します♪ 田植えの終わった時期? 刈り取り前? あぁ悩む♪
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2012.02.15 南牧谷戦国史☆執筆資料 >>>( →_→)